能登半島地震被災地支援 ─事務職員編
罹災証明書に係る家屋調査を担当
「支援を通して、いざという時の経験を積む」
鎌倉市では、被災地支援活動や過去の災害時のノウハウを学びながら、いざという時に備えています。
消防隊による人命救援活動に続いて、
今回は、震度7を計測した石川県志賀町で罹災証明書発行に係る家屋調査を行った職員の活動を紹介します。
レポートを通して、皆さんも「いざという時」を一緒に考えてみませんか。
2月、震度7の志賀町の様子
派遣時、水道や電気などはある程度復旧していましたが、一部地域ではまだ上下水道が通っていませんでした(現在、全地区解消)。
宿泊施設がある金沢市内から志賀町までは車で通常1時間半。工事や窃盗対策による交通規制で渋滞する中、1クール8日間の事務支援に当たります。
遅れていた罹災証明書に係る家屋調査
皆さん、罹災証明書という言葉を聞いたことがあると思います。
でも、実はよく知らないという人も多いのではないでしょうか。
罹災証明書は、災害で壊れた住家の被害状況を公的に証明するものです。
自治体の調査(全壊・大規模半壊・中規模半壊・半壊・準半壊・一部損壊など)に基づいて、支援金の給付や住宅の応急修理など、被災者支援策の判断材料として活用されます。
地震の場合は、第1次調査(屋外からの調査)・第2次調査(屋外・屋内からの調査)の2段階で行われます。
また、被害の程度が軽微(一部損壊レベル)が明らかな場合、「自己判定方式」(写真による判定)も可能で、調査を行わない分、短期間で罹災証明書が受け取れるメリットがあります。
今回、担当者たちは、1・2次調査を担うことになりました。台風などの風水での調査経験はありましたが、これほどまでの大規模な震災での実務は初めてです。
過去の災害でも人手不足、知識・経験不足による初動の遅れや混乱が課題となっていましたが、志賀町も例外ではありませんでした。
被災者との日程調整に奔走~1次調査
1次調査は目視による外観の損傷状況の把握、住家の傾斜の計測などを行います。
志賀町では原則、所有者立ち合いで実施することになっていました。また、町独自の事情として、一画地が広大で、納屋など複数の建物が存在し、1件につき2~4棟の調査を行うこともありました。
町職員は被災者との日程調整や問い合わせに奔走していました。
ただ、所有者が不在のことも多く、そのまま調査を実施して不在票を投函した所もあります。
また、調査を行った家屋の半数近くが一部損壊(自己判定方式と同レベル)程度だった家屋が多く、軽微な損傷や一部分の破損であれば、自己判断方式を使うと、市民の皆さんに迅速に罹災証明書が発行できると思いました。
「家の中を見てほしい」という声のはざまで~2次調査
2次調査は1次調査に不服があった場合に行います。
1次より判定が下がる可能性もあり、制度上取り消すことができません。
調査では、より専門的な知識が求められますが、内閣府の災害調査マニュアルは何百ページにも及びます。当時、調査全体を把握する職員がおらず、応援職員が戸惑う場面もありました。
また、志賀町では調査の対象となる家屋図面を手書きすることが多く、そのつど手計測して間取図を書きました。いわゆる「旧家」が多く、間取りが大きいため時間がかかってしまい、非常に苦労しました。
「家の内部までは見ないのか、内部の方が被害がひどい」
「外観に被害は見えないが、内部の被害が大きいので2次調査を希望する」
そのような町民の声を多く聞きいたものの、1軒1軒に時間がかかるため、震災から2カ月近くが経過した時点でも、1次調査が1万件終わる中、2次調査に着手できたのは、そのうちのわずか数百件程度でした。
また、実際に調査をしてみると1次調査の判定が妥当な家屋も多く、生活再建や調査が滞る中でジレンマを感じることもありました。
派遣されて気づいた課題
比較的被害の少なかった志賀町でもこのような状態に陥ることの驚きと、やや混乱が発生した現地の状況を肌で感じ、自分の立場に置き換えると、罹災調査・証明書発行体制は大丈夫かと考えさせられました。
災害時、皆さんの生活再建に直結する罹災証明書。
本市では、「発災後3日目から家屋調査の開始、罹災証明書の発行は2~3週間以内を目指す」と示されています。
志賀町よりも被災件数が多いことが想定される本市において、いざという時の職員の配置計画は適切か、迅速に的確に対応できるか等、今回の派遣で気づいた課題について、まずはできるところから着手し、本市の大規模災害時に役立てていきます。
(文章・広報課)